釧路への移住と初めての転機
静寂から喧騒へ──生活の激変
小学校2年のある日、家族で西春別から釧路へ引っ越すことになった。
広い大地と静かな空気しか知らなかった少年にとって、それは人生最初の“転機”だった。
西春別では風の音しか聞こえなかった夜が、釧路では車の音、人の声に変わった。
慣れない街の匂い、アスファルトの道路、角を曲がれば店が立ち並ぶ景色──
まるで“別の世界”に来たような感覚だった。
離農の決断と家族の葛藤
祖父が切り拓いた土地を手放すというのは、家族にとって簡単なことではなかった。
それでも、酪農の厳しさ、経済的な限界が現実として迫り、やむを得ず「離農」を決断した。
大人たちの話し合いの空気を子どもながらに感じ取り、「何かが変わる」と直感したのを今でも覚えている。
氷と出会った瞬間、人生が動き出す
札幌オリンピックがくれた衝撃
釧路に引っ越して数年後、小学6年の冬。
テレビで何気なく観た札幌オリンピックのアイスホッケーが、俺の人生を変えた。
ぶつかり合う音、氷の上を滑るスピード感、何よりもゴールを守るゴーリーの姿──
その全てに心を奪われた。
「俺は、あの場所に立ちたい」
胸の奥に火が灯るような感覚を覚え、その夜から夢は“氷上の戦士”になることになった。
中学での出会いと初リンク
釧路の中学に入り、念願のアイスホッケー部に入部。
初めてリンクに立ったときの感触──硬いはずの氷がなぜか温かく、怖さよりも安心感があった。
ポジションは迷わずゴーリーを志願。
ネットの前に立った瞬間、「ここが俺の居場所だ」と思えた。
全国を目指した青春の始まり
強豪校への進学と覚悟
ホッケーにのめり込んだ俺は、インターハイ常連校への進学を決意。
全国を目指す舞台に立てるというワクワクと、未知への不安を胸に抱きながら、新しい環境に飛び込んだ。
それは、まさに本気の挑戦の始まりだった。
逆境の中でも“やるしかない”
だが、入学と同時に学校の労使紛争が勃発。
俺たちの代で生徒募集が停止となり、部員はたったの12人に。
「24の瞳」──そんな異名がつくほどの異常事態だった。
交代もままならない中で、毎日の練習と試合をこなし続けた。
「やるしかない」という言葉が、日々の合言葉のようになっていた。
それでも俺たちは前を向き続けた。
テレビ局の目に留まり、全国放送のドキュメンタリードラマに取り上げられたのは、その努力の証だった。
夢の形は、まだ途上にある
ホッケーは、ただの部活動じゃなかった。
それは自分の人生を切り拓く道具だった。
そしてその夢は、今も形を変えながら続いている──
次は、「指導者」として、そして「経営者」として。
この時の経験が、俺の中に「どんな状況でも“やるしかない”」という精神を刻み込んだ。
そしてこの精神が、のちの居酒屋経営にも活きてくることになる。
釧路への移住と初めての転機