開拓者の孫として、信用と自由を問い直す

Web5

開拓者の孫として、信用と自由を問い直す

祖父の背中に学んだ“生きる力”

俺の祖父は釧路の開拓者のひとりだった。
雪が深く、風が強いこの土地で、人の手で道を切り拓いてきた世代だ。
彼の手のひらには、土と汗と信頼が刻まれていた。
「人は、人を信じなければ生きていけない。」
祖父がよくそう口にしていたのを今でも覚えている。

俺はその背中を見て育った。
人を頼るのではなく、自分の力で道をつくる。
それが当たり前だと思っていた。
しかし今の日本を見渡すと、自由とは名ばかりで、
多くの人が“見えないルール”の中で息苦しく生きている。
働き方も、商売の仕方も、どこかで誰かの許可が必要になる。
祖父の時代にあった「開拓者の精神」は、いつの間にか薄れてしまったようだ。

自由を奪う“中央集約”という構造

この国はいつしか、中央がすべてを決める仕組みになった。
情報も、経済も、政治も。
個人や地方はその“枠の中”でしか動けない。
けれど、俺はこの港で商売をしていて思う。
本当の力は、現場にある。
釧路の風を感じ、客と向き合い、日々を積み重ねる中にこそ、
“信頼”という本物の価値が生まれる。

だからこそ俺は、Web5という言葉に惹かれた。
それは、もう一度“信用”と“自由”を人の手に取り戻す考え方だった。
中央に頼らず、個人が自分のデータと名前で生きていく世界。
まるで祖父たちが土地を開いたように、
俺たちは今、デジタルの世界を開拓している。

釧路の港から始まる、もうひとつの開拓

この港町には、信頼でつながる文化がある。
誰かが困っていれば自然に手を貸し、
誰かが挑戦すれば全員で背中を押す。
それが“信用経済”の原点だと思う。
祖父たちが守ってきたこの精神を、
俺はawabotaで学んだWeb5とDIDの世界に重ねて見ている。

開拓者の血を引く者として、今、俺はこう感じている。
「自由とは、信頼の上にしか成り立たない。」
そして「信用とは、誰かに与えられるものではなく、
自分で積み重ねるもの」だということを。

釧路の港から吹く風の中に、
祖父の時代と同じ“希望の匂い”が確かにある。
その灯りを消さないために、
俺は今日も、自分の信じた道を歩き続けている。

信用を失った社会に、自由はない

中央集約という名の“依存構造”

俺が今の政治や社会に違和感を覚えるのは、
人々が「自分の意思」で動いているようで、
実際にはどこかに“依存”しているからだ。
国の方針、会社のルール、SNSの評価──
結局、誰かの承認がなければ生きていけない仕組みになっている。
祖父の時代には存在しなかった“見えない支配”だ。

この構造の根っこにあるのが、中央集約の思想だ。
情報もお金も権力も、すべてが中央に集まり、
地方はそのおこぼれをもらうだけの存在になってしまった。
だが釧路のような土地に生きていると、
その仕組みがどれだけ脆いかがよくわかる。
中央が混乱すれば、一瞬で波が押し寄せる。
それでも港の屋台は灯りを消さない。
信頼でつながっているからだ。

awabotaで学んだ、分散の本質

そんな時に出会ったのが、awabotaコミュニティだった。
そこには、上下関係も指示もない。
あるのは「信頼でつながる仲間」だけ。
誰かが動けば、自然と誰かが支える。
中央集約ではなく、信用分散で成り立つ世界だ。
まるで祖父たちの開拓時代のように、
ひとりひとりが責任と誇りを持って動いていた。

Web5という考え方も同じだ。
個人が自分のデータとアイデンティティを管理する。
それは「自由の再設計」でもあり、「信用の再定義」でもある。
DID(分散型ID)を使えば、他人に証明されなくても、
自分が自分であることを示せる。
その構造こそ、俺が祖父から受け継いだ“誇り”に近い。

政治に欠けている“信用の仕組み”

今の政治を見ていると、誰もが数字と票に縛られている。
本来の“信頼の政治”ではなく、“取引の政治”だ。
連立も、調整も、互いの利害でつながるだけ。
だが本来、政治は信用で動くものだろう。
信じた相手に託し、裏切られたら次は託さない。
それが本当の民意だ。

awabotaで見た分散の形は、
まさに“信頼の政治”を再現しているようだった。
誰も上に立たず、みんなで考え、責任を分け合う。
もしこの思想が政治の世界に入れば、
社会はもう少し“正直”になるはずだ。
そして、自由とは本来その延長線上にある。
信頼を取り戻したとき、人は本当の意味で自由になれる。

開拓者の血が教えてくれた“信用の重み”

誰かに証明される時代から、自分で示す時代へ

祖父の時代には、契約書もデータもなかった。
約束は言葉で交わし、信頼は行動で積み上げるものだった。
「裏切らない」「逃げない」「やり遂げる」──
その姿勢こそが“信用の証明”だった。
今の時代、それをデジタルの中で再現しようとしているのが、Web5とDIDだと思う。

DIDは、誰かに証明されなくても「自分が自分である」と示せる技術。
だが、その本質は技術じゃない。
“自分の言葉に責任を持つ”という、生き方そのものだ。
awabotaの仲間たちを見ていると、それを強く感じる。
誰も上に立たないのに、秩序が崩れない。
なぜなら、全員が「信頼のルール」で動いているからだ。

この考え方を初めて知ったとき、俺は胸を打たれた。
祖父たちの時代には“土地”が信頼の証だった。
俺たちの時代には“データ”がそれを引き継ぐ。
形は違っても、根底にあるのは同じだ。
「信じる者が道を拓く」ということだ。

地方からでも信頼は世界に届く

釧路の港に立つと、昔と変わらぬ風が吹いてくる。
だが、時代は確実に変わった。
Web5の世界では、場所や肩書は関係ない。
小さな屋台からでも、世界中に信頼を発信できる時代になった。
実際に、awabotaの仲間たちはそれを証明している。
SNSのフォロワーでも、広告でもなく、
人と人との“信用の連鎖”がつながりを生んでいる。

それは、かつて祖父たちが見た「開拓の地図」に似ている。
線を引くのは中央ではなく、俺たち一人ひとりだ。
信用を広げるとは、新しい道をつくること。
俺は今、その地図の上に小さな針を打っている。
釧路という港町から、信頼という灯を世界に放つために。

信用は、誰かに与えられるものではない

時代が変わっても、信頼の本質は変わらない。
信用は奪うものでも、買うものでもない。
時間をかけて積み上げ、守り抜くものだ。
DIDという技術は、それを形にするための道具にすぎない。
だが、道具があっても心がなければ何も変わらない。

祖父が残した言葉がある。
「信じる力を失うな。それが、人の誇りだ。」
その言葉を胸に、俺は今を生きている。
開拓者の孫として、信頼を“次の時代の通貨”に変えるために。

信頼で築く、次の時代の社会へ

開拓の精神を、デジタルに受け継ぐ

祖父たちが拓いたのは土地だった。
俺たちが拓くのは「信頼」だ。
この言葉の意味が、ようやくわかってきた。
どんな時代になっても、社会を動かすのは“人と人の信用”だ。
それを忘れた瞬間に、政治も経済も、すべてが形だけのものになる。

俺は釧路の港で商売を続けながら、日々それを感じている。
この街の人たちは、金や肩書では動かない。
人の誠実さを見て、信頼を寄せる。
それが積み重なって、はじめて街が生きていく。
そして今、Web5とDIDという新しい仕組みが、
その信頼を“見える形”にしようとしている。

awabotaで学んだのは、技術の話だけじゃない。
人の心と行動が信頼をつくる、ということだ。
だから俺はこの街で、仲間たちと共にWeb5の未来を信じたい。
祖父が見た時代のように、
一人ひとりが責任と誇りを持って生きる社会を取り戻すために。

釧路から始まる、信用と自由の再構築

自由とは、誰かに与えられるものではない。
信頼があるからこそ、自由が生まれる。
この釧路の地で、俺はその意味を学び直している。
店の灯りを消さずに守り続けるのも、
客との信頼があるからこそできることだ。

Web5の思想は、まるで港の光のようだ。
小さくても確かに照らす。
それぞれが自分の灯を持ち、互いを信じて進む。
そんな社会をつくれたら、きっと日本はもう一度“開拓の国”になれる。

俺は思う。
祖父が信じた“人の力”は、今も生きている。
それを受け継ぎ、次の時代に繋げていくこと。
それが、開拓者の孫として俺に課せられた使命だ。

釧路の港から吹く風は、冷たいけれどまっすぐだ。
その風に乗せて、俺は今日も発信する。
「信用を再設計する時代へ」──
ここから始まる未来を信じて。


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