昨夜、店の床が大きく揺れた。グラスがカタカタと音を立て、壁に掛けたメニューが微かに揺れた。23時15分。まさに営業の真っ最中だった。スマホの警報音が一斉に鳴り出し、店内の空気が一瞬で変わった。
大将の店は沿岸部にある。揺れた瞬間、お客さんは状況を理解したように顔を見合わせ、静かに席を立ちはじめた。「大丈夫か?」「外、見てくるわ。」そんな声を残しながら、一人、また一人と避難のために店を後にしていく。さっきまで笑い声とグラスの音でにぎわっていた空間が、数分もしないうちに静まり返った。
揺れが収まったあとの店内には、冷たい空気と緊張だけが残った。厨房のステンレス、カウンター、氷のストッカー、並んだグラス。いつもと同じ景色なのに、まるで別の場所のように感じた。もしこの揺れがもっと強かったら。もし長く続いていたら。もし津波がすぐに来ていたら──そんな「もし」が頭の中をぐるぐる回った。
それでも、大将は店に立ち続けた。
店の中を歩き、倒れた物がないか確認し、ガスや電気の状態を確かめ、屋台街の様子を見に行く。お客さんを送り出したあとの静かな通路は、普段より広く、そして心細く感じた。現場に残る者の責任と、商売人としての意地が、背筋をピンと伸ばさせた。
そのあと約3時間後、津波20センチの情報が入った。数字だけ見れば小さいかもしれない。だが、沿岸部で商売をしている者には、その20センチがどれだけの意味を持つか分かっている。もしタイミングが重なっていたら、もし風向きや潮の状態が違っていたら──店の中の景色も、港の夜も、全く別のものになっていたかもしれない。
SNSもニュースも、地震と津波の情報で埋め尽くされていた。ブログのPVはほとんど動かなかった。誰もが不安な夜を過ごしていたのだから、それは当然だろう。だが、大将の頭の中に浮かんだのは数字ではなかった。
問題は、止まるか、動くか。
たったそれだけだ。
だから今日、大将は冬の青いアイキャッチに変えた。
凍える港の風、暗い空、そこに浮かぶ蒼い龍。タイトルは「蒼閃凍魂」。凍りつきそうな夜の中で、それでも前へ踏み出そうとする魂の証として、この言葉を選んだ。地震の夜をなかったことにはできない。だからこそ、真正面から受け止めて、次の一歩に変える。
地震が何を奪おうと、
波がどれだけ荒れようと、
不安がどれだけ押し寄せようと──
大将は店に立つ。
港の屋台から灯りをともす。
逃げることも、言い訳することも簡単だ。それでも踏ん張り、暖簾を出し続ける人間だけが、次の季節を迎えられると信じている。
負けない。
止まらない。
進む。
それが、大将の商売のやり方だ。
揺れても倒れなければ負けじゃない。
津波の不安が残る夜こそ、蒼い炎を燃やす時だ。
灯を絶やさず立ち続ける人間だけが、次の朝を迎えられる。


