蒼海光道(そうかいこうどう)。
この四文字を思いついたとき、最初に頭に浮かんだのは、冬の釧路の海だった。
真っ暗な水平線の向こうから、かすかに青い光の筋が伸びてくる。
夜明け前でも、そこには確かに「道」のようなものが見える。
その光の道を、俺はずっと探してきたのかもしれない。
商売を始めたときも、会社を辞めたときも、父の会社を畳んだときも。
そして今、Web5という言葉と出会って、ようやくこう思えるようになった。
「ああ、俺の人生で探してきた道は、ここにつながっていたのかもしれない。」
蒼海光道──それは、
釧路の蒼い海と、未来へ伸びる光のテクノロジーと、
俺自身の人生が、一本の道としてつながっていくイメージだ。
釧路の海で生きるということ。
釧路の街には、いつも海の気配がある。
冬の朝、店に向かう途中に感じる潮の匂い。
港に並ぶ漁船のマスト。
霧の向こうから聞こえてくる汽笛の音。
子どものころから、俺にとって海は「生活の背景」だった。
それは特別な観光地でもなければ、キラキラしたリゾートでもない。
そこにあるのが当たり前の、厳しくて優しい場所だ。
海はいつも同じようでいて、毎日表情が違う。
穏やかな日もあれば、荒れ狂う日もある。
でも、どんな日でも、海は海としてそこに在り続ける。
その姿を見て育ったからか、俺はどこかでこう思っていた。
「人生も、商売も、そんなふうでいいんじゃないか。」
良い日もあれば、悪い日もある。
常連さんでいっぱいの日もあれば、静まり返ったカウンターの夜もある。
それでも店を開け続けること。
それが、俺なりの「海の生き方」なんだろう。
Web5と出会って感じた“もうひとつの海”。
そんな俺が、ここ数年で出会った新しい「海」がある。
それが、インターネットの向こう側に広がるデジタルの世界だ。
最初は、正直さっぱり分からなかった。
ブロックチェーンだの、DIDだの、分散型だの。
カタカナと横文字が次々と出てきて、頭がパンクしそうだった。
けれど、話を聞いていくうちに、あるイメージが浮かび始めた。
それは、夜の海の上に描かれた、青い光の航路だ。
見えないけれど、確かに存在する道。
灯台と灯台を結ぶ、漁師だけが知っているルート。
それと同じように、Web5の世界にも「人と人をつなぐ見えない道」があるんじゃないか──。
そして、その道は、単なるお金や効率だけを追いかけるためのものじゃない。
「信用」や「生き方」そのものを運ぶための道なんじゃないか。
そう感じたとき、俺の中で何かがカチッと噛み合った。
蒼い海とデジタルの光が重なる瞬間。
釧路の海は、上から見ればただの青い面だ。
けれど、その下には無数の潮の流れや、魚たちの群れや、見えない境目がある。
漁師たちは、それを感覚で読み取りながら網を入れる。
デジタルの世界も、きっと同じだ。
表面上は、ただの画面。
タイムラインや、ホームページや、アプリのアイコン。
でも、その下には、誰かの思いや、信用や、日々の行動の軌跡が流れている。
Web5は、その「見えない流れ」を自分の手でコントロールできるようにする仕組みだと、俺は解釈している。
自分のデータを自分で持ち、自分の名前を自分で名乗り、自分の信用を自分で育てていく。
それはまさに、「自分の船を、自分の責任で操船する」 ということだ。
蒼海光道。
この四文字には、そんなイメージが込められている。
釧路の蒼い海の上を、デジタルの光の道がすっと伸びていく。
その道の上を、自分の意思で舵を切りながら進んでいく。
そんな生き方ができたら、きっと面白い。
自分の人生とWeb5を“別物”にしない。
正直に言えば、最初は「現実の商売」と「デジタルの世界」を分けて考えていた。
昼はめしどきで鍋を振り、夜はスマホ片手にWeb5のことを勉強する。
そんなふうに、二つの世界を行ったり来たりしていた。
でも、あるときふと思った。
「これ、分けて考える必要あるか?」 と。
店に来てくれるお客さんも、Xで繋がっている人たちも、
Facebookで記事を読んでくれている人たちも、全部同じ「人」だ。
ただ、会う場所とタイミングが違うだけ。
だったら、現実の商売も、ブログも、Web5のアカウントも、
全部ひとつの「蒼海光道」の上に並べてしまえばいい。
港の屋台でグラスを洗っている時間も。
WordPressで記事を書いている時間も。
コミュニティで新しい概念を学んでいる時間も。
それらを全部、「人生の一本の道の上で起きている出来事」として捉え直す。
そう決めた瞬間、肩の力がふっと抜けた気がした。
信用が“蒼い道”のラインを描いていく。
Web5の世界では、「信用」が大事だと言われる。
でもそれは、何か特別なことではないと俺は思っている。
約束を守ること。
嘘をつかないこと。
自分の言葉に責任を持つこと。
困っている人がいたら、できる範囲で手を差し伸べること。
そういう一つひとつの行動が、
デジタルの世界では“データ”として積み重なっていく。
そしてそのデータが、新しい仕事や出会いを連れてきてくれる。
釧路の海で、長年真面目に仕事をしてきた人が、
「あいつは信用できる」と評判になって、
いつの間にか仕事の声が途切れなくなるのと同じだ。
俺にとってWeb5は、
「信用の見える化」と「信用のその先にある道」 を広げてくれるものだ。
その道は、きっとまっすぐじゃない。
カーブもあれば、行き止まりもある。
でも、そのすべてが自分のデータとして残っていく。
それが、なんだか面白い。
蒼海光道の“蒼”に込めた気持ち。
なぜ「青」ではなく「蒼」なのか。
そこには、俺なりのこだわりがある。
青は、澄んだ空の色。
蒼は、少し深くて、どこか重さを感じる色だ。
釧路の海は、決して明るいだけじゃない。
霧の日もあるし、冷たい風の日もある。
経済的には厳しい現実もある。
それでも、そこから目をそらさずに生きる。
良い面も、悪い面もひっくるめて「この海で生きる」と決める。
その覚悟を込めたくて、「蒼」という字を選んだ。
Web5の世界も同じだ。
キラキラした未来だけじゃなく、
規制の話もあれば、リスクもある。
うまい話ばかりではない。
だからこそ、
「きれいごとだけじゃない現実の上に、光の道を描く」
そんなイメージを「蒼海光道」に込めている。
これからの自分の歩き方について。
これから先、どんな世の中になっていくのか、正直誰にも分からない。
テクノロジーの進化も、経済の動きも、スピードが速すぎて予測が追いつかない。
それでも俺は、ひとつだけ決めていることがある。
「自分の人生とWeb5の世界を、別々のものとして扱わない。」
めしどきでの一日も、ブログの一記事も、
Xでの一投稿も、コミュニティでの一言も。
全部をひっくるめて「蒼海光道」の上の出来事として受け止める。
そうすることで、
目の前のお客さんとの会話も、
画面の向こうの誰かとのやり取りも、
同じ一本のストーリーとして繋がっていく。
その先に、どんな景色が待っているのかはまだ分からない。
でも、海の上を進む船と同じで、
「どこへ向かうか」よりも「どう進むか」の方が大事 なんじゃないかと思っている。
蒼海光道──釧路からWeb5へ続く、俺だけの道。
このシリーズを通して、俺は自分の生き方を言葉にしている。
その言葉たちは、やがてWeb5のデータとして残り、
誰かの画面に届くかもしれない。
釧路の海と、デジタルの光の道。
その二つの間に、しっかりと橋をかけること。
それが、これからの俺の役割だと感じている。
もし、この文章を読んでいるあなたが、
「自分の道を作れていない」と感じているなら、こう伝えたい。
道は、最初から用意されているものじゃない。
毎日の選択と行動で、少しずつ描かれていくものだ。
俺もまだ途中だ。
でも、釧路の海とWeb5の光を信じて、
これからも「蒼海光道」を歩いていこうと思う。
▶ まとめ|蒼い海とWeb5が一本の道になる
・釧路の海で育った俺にとって、海は「良い日も悪い日もひっくるめて受け止める場所」。その生き方が、Web5の世界観と重なっていると感じた。
・Web5は、単なるテクノロジーではなく「信用と生き方の軌跡をデータとして残す仕組み」だと捉えている。自分の人生と切り離さず、一本の道として結びつけていきたい。
・蒼海光道という四文字には、「現実の厳しさも抱え込みながら、それでも光の道を描いていく」という覚悟を込めた。青ではなく“蒼”を選んだのは、その重さを忘れないためだ。
・これからも、めしどきのカウンター、ブログ、Web5の世界をまたぎながら、自分だけの蒼い道を描き続ける。その一歩一歩が、読んでくれる誰かの道とどこかで交われば嬉しい。


